文学部1類スレッド

トップ フォーラム 雑談掲示板 文学部1類スレッド

  • このトピックには581件の返信、1人の参加者があり、最後に名無しにより19年、 1ヶ月前に更新されました。
15件の投稿を表示中 - 271 - 285件目 (全582件中)
  • 投稿者
    投稿
  • #12963
    コンノ
    キーマスター

    あ、書き込んでいるうちに
    もとくん、さんの書き込みが…

    はじめましてコンノです。

    >哲学史のレポの件は、 文献を正確に読むこと
    >であり、また
    >そこで何が言われているのかを整理すること、
    >であり、
    >その上で解釈し論点を整理すること
    >であると思うのです

    シンプルかつ的確な意見だと思います。
    それに比べるとオレ…

    ダラダラしてて分かりにくいですね

    反省します。

    #12964
    eriko。
    キーマスター

    mizukokoさん
    来ちゃいましたか~。 納涼愛のムチレポ。
    なんだか、ホントにきっちり「こうあるべき」スタイルを構築していないと
    いけないという感じなんですね~
    だけど、「パイドン」を選んだというだけで、尊敬しますわ、
    「魂の不死」についてなんて、 ((((((((((((( \’ \’ ;;)

    今もう出かけるので、中途半端になっちゃうから、
    またゆっくりコメントしますね~。。

    #12965
    mizukoko
    キーマスター

    もとくんさん、コンノさん、
    早速のお書き込み、ありがとうございました。
    他のことでもそうですが、特に西哲の件ではお世話になっております。
    今度、何かのオフでお会いしたら、アルコールでもノン・アルコールでも、いっぱいご馳走しますので。

    そう、わたし、「閉じた系の中で論じる」ということができないんですよねえ。
    確かに、わたしたちにとっては、そうする他はないんでしょうけど。
    大哲学的な構えで哲学することはできない、という現代のわたしたちには。
    でも、そうだとしたら、現代、哲学をする人々(ぶたのしっぽ氏も含めて)は、どこか、一種の「虚しさ」を感じていらっしゃらないでしょうか?
    だって、哲学、って、諸学の中でもとりわけ、自分の全存在をかけてやっていくものでしょう?
    わたしは、今となっては荒唐無稽な体系でも、その哲学者の「のっぴきならない息遣い」のようなものを感じて、そこに感動するのですが。
    モデル化では、それがないような気がします。

    コンノさまの1,2,3の難関、全く同感です。
    こういう「わからなさ」って、凄く自分がバカになった(もともとそうか)気がして、不安になるんですよね。
    でも、コンノさま、もとくんさま、その他のみなさまのおかげで、うっすらとではありますが、道が見えてくるのです。
    またすぐ迷ったりするのですが。

    !!! 今、突然、思ったのですが、コンノさん、って、「教育者」の資質が高そうですねえ。
         違うことしてらしたら、道を変えません? !!!

    ともかく、過去の書き込みも再度検索し、考えます。
    本当にありがとうございました。
             

    #12966
    mizukoko
    キーマスター

    267の「一夜開けて」は、「明けて」の間違いでした。

    #12967
    このこ
    キーマスター

    muzukokoさん

    とうとうきましたか~。
    お気持ち、ひしひしと伝わって参りました。

    ところが、よく読んでみると、私の講評も同じような感じなのですよ。
    不合格ですにはじまり、レポートの書き方の指導とポイントの絞り方について。
    内容は違いますが、たぶんそんなに大きな違いはないようです。
    でも、私は鞭だと思わなかったんですよね。

    二人の間の認識が違ったのは何故でしょう?
    そもそも認識するってどういうことでしょう?
    違いが出るとはどういうことなのでしょう?
    というようなことを、自分で問いを立てて、それを論証していくというのが哲学なのかなあと、私は思ったりしています。単純かしら・・・。

    総合哲学レポを何度も再提出したおかげで、哲学の方法もほんの少しですが鍛えてもらった気がします。
    結局活かせてませんが....。(・_・;)

    まあ、私があの講評を否定的に捉えなかったのは、単純に過去に幾つかの科目で再提出をくり返したお陰でして、(つまり出来が悪いってことですね。はあああ)
    更に提出した後に、しまった!と思った所を、分りやすく分析してもらった事によります。
    哲学に向いてないとか書かれるとも聞いていたので、それがなかっただけでよかった~と・・・。
    たぶん、このインストラクターは哲学史というより哲学をする事そのものを求めているような気がします。

    mizukokoさん、西哲クラブでがんばりましょうね。
    私も、何度再提出をすることになるのやら・・・と思ってはいるのですが、
    でも何度でもがんばろうと思っています。
    そこそこCで合格するなら、きちんと指導してもらって単位を頂いた方が
    後々の為にも有り難いと思いますし。(単位は早く欲しいんですけどね。切実に。本当に。まじで)

    こういう場がある事は本当にありがたいですよね。
    でなければ、一人でもんもんと苦しむ事になりますもの。

    #12968
    mizukoko
    キーマスター

    過去スレを見ていて確信しましたが、
    やはり、このレポートの課題は、あいまい、抽象的ですよね。
    わたしの講評に「慶応出版会から『レポート・論文の書き方入門』という本が出ているので・・・」という箇所があって、これにも逆切れしたのですが、「・・・魂の不死について論ぜよ」という問いは、ご紹介の本はもちろん、他のレポート・論文の書き方関連の本を参照しても、問いとして適切とはいえません。
    少なくとも、ぶたのしっぽ氏の期待していらっしゃる答えを引き出す問いには、絶対になっていません。
    わたしが頭が悪すぎるんじゃなくて、問いのほうが悪いのよ!

    なお、以前、同じように、どうも「問い」がよくない、と感じたレポートがありました。
    西洋史概説Ⅱの2003年度課題です。
    お手持ちの方は、一度、ご覧ください。
    「全人類に」という言葉から理念を考えたわたしは、つぎの行の「具体的な」という言葉に躓きました。
    紹介されていた参考文献の「フランス革命の代償」を読むと、ますます混乱しました。
    そして、Bで返ってきたレポートの講評の、「記述に具体性が不足・・・制度に目を向けて・・・」というご指摘を読んだあと、これはやはり、「全人類」という言葉が躓きの石だったんだ、と思いました。
    先生のねらいはなんとなくわかるのですが、通信過程の中でのレポート課題ということを考えますと、不親切というのではなく、言葉選びが不適切です。
    ぶたのしっぽ氏も同じ。
    学生を、こういうところで悩ませてはいけません。
    慶応通信は、テキストについての質問はできても、レポート課題についてはできませんし、返ってきたレポートの講評についての質問もできないでしょう?

    それと比べて、例えばもとくんさんの269のレポンスの、記述の的確、明瞭さには驚きます。
    わたしも、こういう文章を書けるようになりたいと痛感します。

    コンノさんに追伸
    「教育者の資質」について。
    mizukokoの我見ですが、いわゆる先生を、生徒との距離の取り方から分類すると
    1、終始、高みに立っていて、「来るならおいで」という先生
    2、一度、生徒の高さまで下りてきて、「一緒に考えましょう」という先生
    の2種類になり、どちらにも長所と短所があって、優劣はつけられません。
    例えば、2には、「下りたきり」という方もいるのです。
    それで、コンノさんは、2のタイプの先生として、すごく良い資質がある、とm
    izukokoは感じました。
    突然で当惑されたかもしれませんが、率直な褒め言葉です。

    最後にerikoさーん、西哲Mクラブ会長! 早く帰ってきてえー。

    #12969
    コンノ
    キーマスター

      まずは訂正です。
    >270での
      1.インストラクターが何を求めているのかが分からない。
      どんなことを書くように求めているのかが摑めない。
                      ↓
      どんなことを書くように求めているのかがつかめない。   
                                       です。

     mizukokoさん
    >こういう「わからなさ」って、凄く自分がバカになった(もともとそうか)
    >気がして、不安になるんですよね。

    はい、オレも一回、二回と不合格が続いたとき
    同じような気持ちになりました。
    「オレ、哲学で卒論書こうと思っているのに、全然お話にならない
    アタマしかないのか??はぁぁーーーーーーーー。。。。。。。。……」
    なんて。
    合格したからと言って、出来るとは限らないはずですが。

    また、
    >「・・・魂の不死について論ぜよ」という問いは、
    >ご紹介の本はもちろん、他のレポート・論文の書き方関連の本を
    >参照しても、問いとして適切とはいえません。

    というのに似たカンジの想いをオレも最終的に合格した後でも
    ずっと抱いていました。何が求められているのかが
    十分に理解できなかったんです。
    (99年の課題だったので、“魂の不死”の議論に導くような
    コメントは三回目で合格したときに、それを言い換えた表現で
    初めて書かれていたんですけど。ただし、それを示唆するようなコメントは
    二回目の講評にも書いてありましたが。)
    結局、求められているものはレポの最後まで分からずじまいでした。

    でも、“魂の不死について論ぜよ”という問いは、
    哲学固有の問題意識を比較的明瞭に気づかせようとする
    ものなのだとごく最近は思えるようになりました。
    (といっても、最後のレポ返却から既に丸四年が経過しているんですが)
    オレ理解力あんまりないかもしれないです。

    しかし暗中模索の状態だと、実際のところどのように書くべきか
    皆目見当がつかなかったですけどね。その時のオレは。
    特にオレは、自分自身の固有の視点からレポートを書きたいと
    思ってしまう方なので、そう思えば思うほど書けなくなったりも
    しました。

    こう書くと、「じゃあどうすれば良いわけ?」ということになるので、
    いま一度課題の内容についてここで検討してみたいと思います。
    課題の文章を言い換えると、
         『パイドン』における「魂の不死」について、
         精読し、
         このテーマについて論じてください。
    ということになりますよね。

    (a)
     まず、<『パイドン』における「魂の不死」について>
     ということは、『パイドン』に述べられている限りでの「魂の不死」です。
     また、「魂の不死」ということは自明の事ではありません。
     (個人的信念とか宗教的信条ならアリでしょうが、万人が無条件
     に受け入れることではないはずです。)
     ということは、『パイドン』という閉じられたテキスト内部での
     「魂の不死」という議論の結果にレポート執筆者が如何なる態度を
     とるにせよ(魂が不死であると考えようと、考えまいと)、
     まずはどのような理由でソクラテス(プラトン)は
     魂が不死であると結論付けたのかを
     明らかにする必要があるのではないでしょうか?
     このことは、一回目の講評で
    >「『パイドン』のテキストに基づいた議論」をして下さい。
    >ダラダラとエッセイ風に書かず、章節立てをきちんとして、
    >全体的構成を明確にしてください。
     というようなカンジだったので、それらをふまえて考えたことです。

     で、二回目で、
    >合格のレベルですがここでやめるのは惜しいことなので
    >読解のさらなる進歩を求めてあえて不合格にしました。
     となりました。(ぬぉーーーーー!!!泣←その時の心の叫び)
     ここでかなり凹んで凹みまくりましたが、
    >ひとつのテーマについて論ずるときは、それが最も鮮明に語られている
    >部分に絞って論じて下さい。
     ということだったので、内容をカナリ絞って書き直しました(もうヤケ)。
     でもこのことは、実は一回目の講評でも書かれていたんで、
     二回目は一回目に取り上げた範囲の三分の一位に絞ったのですが。

     で、三回目。
     範囲を二回目のさらに半分に絞りました。
     でも、屈してばかりいるのも悔しいので、最初の三分の二は
     テキストに基づいた解釈をし、最後の三分の一は自論を
     展開しちゃいました。また、オレの論じたことは『パイドン』
     から直接的に読み取れることなのだ!!というつもりで、全体の
     構成も工夫したつもりでした。
     でも…
    >(後半部分は)原典の典拠指示がほとんどなくなります。
    >原典から遊離していないでしょうか。
     と来ました。
     で、ここにきて、書いてあったことから今にしてやっと分かった事が
     あります。
     範囲を絞るように指示した場所は、テキストにおける魂の不死の理由
     にしている記述のなかでもごく日常的なことを取り上げているところで
     あり、
     ソクラテスのここでの言葉はこうしたに日常的な
     ことに謎を見出しそれを問いに変えさらに考えて答えを出す、
     という哲学固有の姿勢があらわれている箇所(の少なくても一つ)
     だったのではないか、ということです。

    (b)
      次に、
     “「論」ずる”ということに目を向けてみたいと思います。

         問いをたて、それに分かりやすく道筋をつけて、
         それに答えること。

     これが、論ずるということだとオレには思われます。

    (結論?) しかし、論ずるということになると
     テキストの読解だけで結構密度があるのに
     四千字程度の分量で、読解を踏まえつつ持論を展開
     するというのはカナリ無理な気が今のオレにはします。
     だから、
     問い→「魂の不死」はどのように説明されているか?
     道筋をつける部分→テキスト読み込み、典拠を示しつつ答え
                にもって行くための証拠を示す。
     答え→このようにして「魂の不死」は主張されている。

     あくまでもオレの即席の例ですが、こんなトコロに落ち着いちゃう
     気がするんですよね。
     でも、
    >生死の現象論ではなくて、「人間の生き方」=倫理の問題
    >はなかったかと思います
     との事ですが、
     前述した部分では、生死の現象学でありかつ倫理の問題でも
     あることが述べられているとは思うんですよね。現代人から見て
     感動するものかどうか分かりませんが。

     オレの場合けっきょく最後まで上述した難関を
     突破できないで終わりました。
     最終的な評価はAでしたが
    がんばっ たで賞、のようなカンジでした。

    なんかこんな説明じゃ、
    かえってどうしたら良いか分からなくなりますかね?
    文字だけじゃ誤解が生じてしまうかなあ?
    機会があればお話したいものですが。

    今日のところはこの辺で。

    あ、「教育者の資質」についてですが、
    オレそういうのないですよ。
    普段のオレの実情を知る人間(家族、昔からの友達、職場の人等など)
    が聞いたら完全に否定されますし。
    それに、mizokokoさんに会った時にオレの本当の姿を知られて
    こんな人だったのかと思われるのもチョッピリ怖いです。笑

    では!

    #12970
    コンノ
    キーマスター

    あ、訂正です。

     >生死の現象論ではなくて、「人間の生き方」=倫理の問題
     >はなかったかと思います

    は、
    >生死の現象論ではなくて、「人間の生き方」=倫理の問題
    >ではなかったかと思います

    でした。

    また
     >オレの場合けっきょく最後まで上述した難関を
     >突破できないで終わりました。
    のところでの「難関」とは
    >>270
    で書き込んだところの「難関」です。

       

    #12971
    mizukoko
    キーマスター

    二夜目が明けて、自分の書き込みを眺めてみると、「いい年して、ずいぶん昂ぶってるなあ・・・」と呆れるばかりです。
    で、興奮が醒めると、どっと疲れを感じます。
    このこさん、ありがとう。
    コンノさんも、お暇なわけないのに、本当にありがとう。
    今度お会いしたら、何でもご馳走しちゃいますから。
    でも、コンノさん
    >、「教育者の資質」についてですが、
    オレそういうのないですよ。
    そうですかあ。
    凄くいい先生になれそうなんだけど。

    #12972
    mizukoko
    キーマスター

    引用の赤転は、2行いっぺんは無理なのね。

    #12973
    eriko。
    キーマスター

    西哲M部のみなさま
    ただいま~!
    すっかりコメントが遅くなりました~。ごめんなさいね<mizukkoさん

    mmizukokoさんの
    >哲学って何でしょう
    本当に「正解」という答えはあるのでしょうか?

    このこさんの
    >哲学史というより哲学をする事そのものを求めているような気がします。

    わたしもとてもそう感じました。
    哲学への問いの答えはまさに「正解」というものがあるのではなく
    「自分で出す」ことが許され、また自分でもがいてもがいて、消化して獲得することに
    意義を持つ学問であるとおもうのですね。

    それには、アリストテレスなり、プラトンなりパイドンなりが
    何らかの題材を基にして、「そのものについてどう考えたか」ということを
    引用する部分は最小限にして、書き手がどう考えてそう言うのか、
    書き手の言葉の解釈によって自分なりに読解せよ。と求められていると思います。
    それを自分の言葉によって導き出すことが重要だということを、
    ワタシは講評からのメッセージと受け取りました。

    >講評に「慶応出版会から『レポート・論文の書き方入門』という本が出ているので・・・」という箇所があって、
    >これにも逆切れしたのですが

    この科目の要件に「レポートの基本構成」ができているかということがあるようですよ。
    講評で「評価できる」として認めてくださっている点のひとつとしてあげてくださっています。

    mizukokoさんの講評に書かれているのはたぶん、
    「大学のレポートとしての形式を満たしていないので、
    見本的なことを確認した方がいい」ということなのではないでしょうか。

    その基本的というのは・序論、本論、結論といった章立てするとか、
    引用文献の記載、注のつけ方などの「規則」があるので、
    そのことを初めにしっかりとみておきなさいという風に受け取れます。

    これは「西洋哲学史」の課題への支持ではなくて、
    一般的な他の課目にも当てはまることだから…という目的があるのでは?

    持っていますので、ごらんになりますか?送りますよ~。。

    #12974
    eriko。
    キーマスター

    あ、皆さまへお願いです。
    添削の先生はやっぱり慶應で哲学の講義をもたれている、教授または助教授だと思います。
    個人的な好みの問題ですが、やっぱり敬意を払ったほうがいいと思います。
    できたら、「インストラクター」とも「豚のしっぽ氏」も聞きたくない呼称なんだけどな。。
    カタイコト言ってスマソ。

    #12975
    mizukoko
    キーマスター

    erikoさま
    はい、確かに、「豚の・・・」は良くなかったですね。
    以後、控えます。

    「レポート・論文の・・・」の本は、通信入学後、いちばんに購入しました。
    最初に取り組んだ「史学概論」のレポートを書くのに、大変参考になりました。
    で、ちょっとしつこいのですが、
    2003年度の「パイドン」の課題は、レポートの問いとして、やはり曖昧すぎるのです。
    他の本や2004年度のもの、他の科目の課題、または、各種のレポート・論文の書き方本に載っている課題例と比べてみてください。
    この問いから、先生の求めていらっしゃる答え(自分なりの、とおっしゃっていますが、先生ご自身のイメージには非常に確固たるものがあって、それをはずれることは許されそうにないですよ)を引き出すのは、技術的に無理があります。
    「『魂の不死』について・・・・の角度から」とか「・・・とは何か。『魂の不死』の内容に沿って論ぜよ」とかの、もうひとことが必要だと思うのです。
    みなさんの書き込みを拝見するとよくわかりますが、あのような方々でも、その部分を探らなければ書けないのです。
    そして、この場合、それを探ることが哲学である、などいうことではないと思います。
    禅問答じゃあるまいし、西洋哲学は、言葉によって真理に迫るのが伝統的な姿勢なのではないでしょうか。
    ですから、何よりも、言葉の明晰さが求められるのでは?

    つまり、レポートの形式に関する先生のわたしへの講評は、的を射ていらっしゃいません。
    鞭が届かない、というのは、そういうことです。

    しかし、いくら騒ぎまくっても、合格に辿り着けなければどうしようもありません。
    ですので、「今に見ておれ」の心境でがんばることにいたしました。
    erikoさん始め、みなさまに、たくさんご心配をおかけしてごめんなさい。

    #12976
    このこ
    キーマスター

    mizukokoさん

    言葉で伝えるというのは、本当に難しいのですが・・・・。
    更に、私が本当に分かっているのかも実は自信がないので、ご納得いただけなければ、流しておいて下さいね。

    あくまで私見ですが、
    哲学系の課題では、自らがどのように問いをたてるかという事がポイントになったりするような気がします。
    つまり、問い自体をいかにたてるかが問題なのだと思います。
    問いが適切でなければ、どのように立派に論証しても、それは見当違いなものになってしまいますから。

    2003年度の課題は、例年と違ってパイドンが魂の不死というように、
    ある程度その課題でどのポイントで問いをたてるかを示していて、めずらしいものだったと思います。
    これを見たとき、たぶん課題のポイントを外した問いたてが多かったんだろうなあと思ったものです。
    (といっている自分も、おはずかしながら今回のレポは見事にポイント外してましたが・・・)

    eriko。さんの
    >それには、アリストテレスなり、プラトンなりパイドンなりが
    >何らかの題材を基にして、「そのものについてどう考えたか」ということを
    >引用する部分は最小限にして、書き手がどう考えてそう言うのか、
    >書き手の言葉の解釈によって自分なりに読解せよ。と求められていると思います。
    >それを自分の言葉によって導き出すことが重要だということを、
    >ワタシは講評からのメッセージと受け取りました。

    という感じや、もしくは自分がその問題に対してどのように問いを立てた上で、
    著者の言葉を論拠として、自分なりに論証するかというような事だと思います。
    私などのように、単位も取得していない人間が、偉そうな事は言えないのですが・・・。

    きっとこれだけの思いで取り組む科目ですから
    単位が取れたあかつきには、喜びもひとしおかと思います。がんばりましょう。

    eriko。さん

    インストラクターという表記は、
    たしか、講師(=instructor だと思っていたのですが・・・勘違いだったらかなりはずかしい)
    をされていたと記憶していたもので、指導をしてくださる事を意味して使っていたつもりでした。
    でも、誤解を招くようならば、やはり失礼にあたるものだったと思います。失礼しました。

    なにはともあれ、二回戦がんばりましょうね・・・・。
    スクと他のレポが終ったらですが。とほほ。

    #12977
    eriko。
    キーマスター

    mizukkoさん
    たしかに設問はとーっても漠然としていて、とらえにくいものですよね~
    もう一言あったら…と感じられるし、先生の中では「正解」を確立されているのでしょう。
    でないと、合否の評価できないもんね。

    『パイドン』における「魂の不死」について、
    「これだ!」と思える論旨のストライクゾーンを見つけて、
    その解釈をいくつかの章立てに分けて自分の言葉で語る。
    それには「パイドン」全体の把握と「芯になるもの」の把握ができてないと
    いけないのかな…と思うのですね。

    講評のなかでも「ここについて掘り下げよ」。というヒントがありました~。
    おっしゃることに全く無駄が無いので、是非肯定的に受け止めてみてくださいな。

    ただ、課題は2003年のものですよね。
    今年2004年の課題はテーマを自分で設定してよいというので、
    今までよりもいくらかは取り組み易いと思えます。しかもワープロ可になってるし…

    このこさん
    自分の好みを押し付けてごめんなさい (-人- ですぅ~。

    インストラクターって、言う人たちは、エアロビでしか見たことが無いもんで…
    エアロビタイツ姿でムチ振るう先生のお姿は、マニアとしてはスキでたまらないんだけど。。
    そういう自分の想像が失礼なだけかもしれないです。

    >単位が取れたあかつきには、喜びもひとしおかと思います。がんばりましょう。
    …ですね。(*\’‐\’*) ♪
    これきっと、もがきぬいて自分でつかんだ答えが出て、しかも合格したとき
    「とってよかった」と思える科目かも~~。

15件の投稿を表示中 - 271 - 285件目 (全582件中)
  • このトピックに返信するにはログインが必要です。
上部へスクロール