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mizukokoにより19年、 3ヶ月前に更新されました。
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2005年5月24日 9:11 PM #23708
ぺこ
キーマスターHirokoさん
なるほど~、さんきゅうです。深いですねぇ。
私、アウグストゥス君の座右の銘とは知らず、常日頃から3番目を
目指しておりました。しっかし、最近、実に波に乗れてないんだわぁ。
どうしたものか。もとくん
すると、若さが理想ということですか?2005年5月24日 10:20 PM #23709Hiroko
キーマスターあたし、プラトン読んだことないのでわかんないけど
若さが理想ということではなくて、
彼が自分の老いに厳しかったということなのかもしんないですね。「つねに多くのことを学びながら私は歳をとる」といったソロンに対して
「そら、ソロンのうそやでぇ」
「学ぶんは走るんよりもっと先にあかんようになるんですわー、
やっぱ年取るのはあきまへんでえ、いやほんまぁ」(勝手な関西弁訳)
といったのがプラトンだそうです。で、ちなみにそんなことゆった『国家』を書いたのはプラトンが50のときだそうであります。
2005年5月25日 12:52 AM #23710もとくん
キーマスター>>975ぺこさん、
彼の理想はイデアの世界にあった。
彼はイデアの世界こそが、
物事の本質であると考えた。
と、いうことは、
現実の人間の
崩れとか、傾きに厳しかったはずです。
イデアの世界が本質なら、現世はかりそめ。
ゆえに、
老い=成熟という発想は出てこない。
イデアは現世での経験に先立って存在している訳ですから。2005年5月25日 7:33 AM #23711mizukoko
キーマスターねえねえ、もとくん、
今さらなんだけど、
プラトンは、本当に、比喩とか神話とかじゃなくて、
「イデアの世界」が実在すると信じていたの?
ソクラテスはどうなのかしら?2005年5月25日 1:11 PM #23712ぺこ
キーマスタープラトンは50年くらい前に子供用?の本を読んだきりですが、
プラトンさんは50のときに「もうあかん」っておもっていたんでしょうか。
(でも走るのはOKだったのかな。しょーもないことが気になる私)「理想」と「本質」って一致しない概念だと思うのですが、
プラトンはかりそめの現世に生きている自分もかりそめの自分だと
思っていたのかしら。
せめて著作を読んでからじゃないと質問にもならないですね、おハズカシ。2005年5月25日 1:30 PM #23713もとくん
キーマスターmizukokoさん、
比喩はヒトと対話するときに用いたのです。
彼が「イデアの世界」こそ、真実である感じていたのは
間違いないでしょうね。
僕など他人は「信じていたのでしょう」などと、
ほんと他人事のようにしか語れませんけどね(^-^;プラトン本人にとってみれば、それはそこにこそ真実が
ある訳で、もし彼が、「そうであればいいな」程度の、
思いつきで「イデア」を語っていたとすると、
現在まで伝わるプラトン的な哲学すべてが、無意味に帰して
しまうと思います。ウィトゲンシュタインは、そんな結局のところ事実と対照できない
価値感に根ざした世界を「意味のないもの」と否定しましたが、
しかし、自らイデアの世界という深淵を信じ、
それを伝えるようとするとことに対話が生まれ、
その対話が弁証法になった訳ですから、
はじめにプラトンなくば、
のちの哲学も今の地平に来れなかったと思います。またソクラテスについても、「真理」は、「事実」の外に
あると信じていたと思います。
だからこそ、彼は最後に死を選択できたのだと。2005年5月25日 1:56 PM #23714もとくん
キーマスターぺこさん、
>プラトンはかりそめの現世に生きている自分もかりそめの自分だと
>思っていたのかしら。そうだと思います。
えっと、
それと理想についてですが、
プラトンの文脈では、
理想という言葉は、イデアと言い換えても
矛盾は起こりませんよね。
イデアって、物事の本質そのものだという
解釈がプラトンによってなされているので。理想って、いつだって現実と距離のある
ところに成立しますよね。、
想いが宙ずりにされた状態。
現実の総和の外にある。
それはイデアそのものですよね(^-^;2005年5月25日 4:45 PM #23715MIKE
キーマスターあまり気軽について行けないお話ですが(^^; ぺこちゃんていくつなの?
>979: 名前:ぺこ投稿日:2005/05/25(水) 13:11
>プラトンは50年くらい前に子供用?の本を読んだきりですが、2005年5月25日 4:59 PM #23716ぺこ
キーマスター15822歳とどこかで答えちゃったので統一しておこう。>982
あと164359年くらいすると大人になる予定。2005年5月25日 5:05 PM #23717ぺこ
キーマスター>現実の総和の外にある。
まるっきり不勉強なまま、私、理想ってむしろ、
現実が凝縮された核の中にあるのかと思っていました。
「思って」いただけですので、まったくの感覚的な理解に過ぎません。
プラトンの文脈を理解できるようになってから出直してきます~。2005年5月25日 9:39 PM #23719mizukoko
キーマスターここ、文Ⅰスレじゃなかったわ、と思いながら
うーん。哲学関係の質問は、やっぱり、もとくんやコンノさんに目の前にいていただいて伺わないと、難しいですねぇ。
理詰めで考えていって、「捉えた!」と思うと、するりと逃げられてしまう感じ。
もとくんに説明してもらうと、感覚で「わかった」と感じるんだけど、なにしろ「感覚」なので、これまた、こころもたない感じ。2005年5月25日 10:43 PM #23720コンノ
キーマスターMIKEさんのいうとおり、
“気楽な雑談ラウンジ”の名に相応しくないやり取りが続いていますが、
どうしても発言しないわけにはいかないので、発言させていただきます。もとくんの
>>980
>ウィトゲンシュタインは、そんな結局のところ事実と対照できない
>価値感に根ざした世界を「意味のないもの」と否定しましたが、って誤解を与える表現ではないスか?
少なくとも『論理哲学論考』(以下論考と略します)の範囲では。
確かに『論考』の幾つかの表現、例えば命題6・53では
なんか、もとくんの表現に近いニュアンスを感じますし、
序文では<現実(事実)の外側は>「ただナンセンスなのである」
ともいってます。しかし、かと思うと6番台の他の命題 などでは
(特に6・522。言い表しえぬが、示されるものとしての神秘の存在といった)
現実の外側にある?、倫理/生/神秘についての主張もありますよ。
しかも、ウィトゲンシュタインの真意は実のところは
そうした外側により重きを置いている、
として解釈しても矛盾が無いようにオレには思われるのですが…
全体的には語られない対象について語ってしまっている、
という説明を与えるのが適切なのかどうか
今のオレには分かりませんけれども…
(単に彼の主張が矛盾しているだけだとオレには思われないので)このことから、単にウィトゲンシュタインは現実(事実)の外を否定している
というよりは、
もっとも大切な事柄については現実の外側にあって語られない故に
そうした事柄について安易に定式化することは誤りだ
ということの主張にオレには思われるんですけどね。
いかがでしょうか?まだ、正確に言葉にできていないせいで分かりにくい書き込みに
なってしまいました。
典拠を出すと、かなり長い引用になるので省略させていただきました。
(ネット上で著作の長い引用をすることについて
著作権的に問題はないのだろうか?心配になりましたので)
この話題を初めて目にした方にとれば???であり、
その点について申し訳ありませんでした。2005年5月25日 11:55 PM #23721コンノ
キーマスタープラトンが老いに厳しかったというのは、初耳で良く分からないですが、
mizukokoさんの質問、
>プラトンは、本当に、比喩とか神話とかじゃなくて、
>「イデアの世界」が実在すると信じていたの?
について。もし、プラトンが実在の人物
(この“実在”という言葉の意味は真実在としてのイデアという文脈
で用いられる意味でなく、現在の日本で一般的に“実在の人物”
と言われる場合の意味での“実在”です)
であったという仮定にたてば、
オレももとくんと同じで、プラトンはその存在を信じていたと思います。イデアの存在は中期以降の『饗宴』『パイドン』『国家』
といった対話編だけでなく最晩年(75歳頃)の
『第七書簡』でも語られています。
これは“手紙”の目的で書かれたものみたいです。(『第七書簡』は、R.S.ブラック『プラトン入門』岩波文庫 にも所収されています。
書簡は13まであると言われ、19Cのドイツの古典学者達の間ではこれらの
書簡はすべて偽作であると言う説が優勢であったとのことです。しかし、
その時代ではプラトンの他の著作の半数近くも偽作とされていたようですし、
その後のテキスト解釈の進展と文体統計法(?)からの結果から現在では少なくとも
他のプラトン対話編と同じく『第七書簡』『第八書簡』は真作とみなすのが
優勢みたいです。あの“先生”も『第七書簡』を真作と考えているようです
(113頁)。)この書簡では、現実を分析的に捉えるアプローチでイデアの存在について
書簡を渡す相手に語りかけています(上記『プラトン入門』280-283頁)。
だから、プラトンはイデアの存在を信じていたんじゃないかと思ってます。でも、個人的にはプラトンが実際に信じていたかどうかや、
ソクラテスが実在の人物だったかどうかはオレには
本当のところは知りえないことだという風に考えています。
だから、ソクラテスが実際にいたかどうか、
彼が哲学者として自らの存在を全うするために死刑に本当になったかどうか、
イデアの存在をプラトンが本当に信じていたかどうか、
などを問うことをしなくても
ソクラテス-プラトンのテキスト
(ギリシャ語を今は読めないので日本語で)
から
何か考えるに値することを自分で引き出すことができれば良し、
という考えでいます。妥協ですが。2005年5月26日 12:00 AM #23722もとくん
キーマスターコンノさん、
僕はウィトゲンシュタインの良い読み手ではないですけど、
彼の考えた命題からなる論理空間は、事実と対照できないものを
排除していったものだと思うのですよ。
それは、価値感に根ざしたものの排除です。
例えば、
「神秘がるのではない、世界が存在することが神秘なのである。」
という言い方には、
事実の外には何もないのだ、と言っているようにしか読み取れませんよね。
神秘があって世界がある。ではなく世界そのものが神秘であるなら、
世界=現実(事実)以上の価値感の入り込む余地はない。
世界はその存在が存在であることによって閉じている。
存在はそれ以上問えない事実として神秘であるとも読める。また、コンノさんに書いて頂いている
>(特に6・522。言い表しえぬが、示されるものとしての神秘の存在といった)
についても、上記と同じで、示されるものによって神秘は閉じられていますよね。ウィトゲンシュタインのことばが明晰であるとされるのは、
このような価値感に根ざした言説との決別(否定)にあったように僕は思います。
彼の命題は、○○は○○だ、というような文の集まりですよね
これは、その内容がどうか、というより1は1である。と
いっているように僕には読めてしまいます。但し中期以後のことばを状況の上に乗せてもう一度捉えなおしていく
問題に関しては僕もまだ読めてませんので、なにも言えません、ごめんね(^-^;2005年5月26日 8:21 AM #23723ハマー@携帯
キーマスターこのスレッドもそろそろ満杯です。それぞれの話題の続きは適当なスレッド(新スレッドを立ち上がるのも可)に移行していただきますようお願いします。
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