過去スレを見ていて確信しましたが、
やはり、このレポートの課題は、あいまい、抽象的ですよね。
わたしの講評に「慶応出版会から『レポート・論文の書き方入門』という本が出ているので・・・」という箇所があって、これにも逆切れしたのですが、「・・・魂の不死について論ぜよ」という問いは、ご紹介の本はもちろん、他のレポート・論文の書き方関連の本を参照しても、問いとして適切とはいえません。
少なくとも、ぶたのしっぽ氏の期待していらっしゃる答えを引き出す問いには、絶対になっていません。
わたしが頭が悪すぎるんじゃなくて、問いのほうが悪いのよ!
なお、以前、同じように、どうも「問い」がよくない、と感じたレポートがありました。
西洋史概説Ⅱの2003年度課題です。
お手持ちの方は、一度、ご覧ください。
「全人類に」という言葉から理念を考えたわたしは、つぎの行の「具体的な」という言葉に躓きました。
紹介されていた参考文献の「フランス革命の代償」を読むと、ますます混乱しました。
そして、Bで返ってきたレポートの講評の、「記述に具体性が不足・・・制度に目を向けて・・・」というご指摘を読んだあと、これはやはり、「全人類」という言葉が躓きの石だったんだ、と思いました。
先生のねらいはなんとなくわかるのですが、通信過程の中でのレポート課題ということを考えますと、不親切というのではなく、言葉選びが不適切です。
ぶたのしっぽ氏も同じ。
学生を、こういうところで悩ませてはいけません。
慶応通信は、テキストについての質問はできても、レポート課題についてはできませんし、返ってきたレポートの講評についての質問もできないでしょう?
それと比べて、例えばもとくんさんの269のレポンスの、記述の的確、明瞭さには驚きます。
わたしも、こういう文章を書けるようになりたいと痛感します。
コンノさんに追伸
「教育者の資質」について。
mizukokoの我見ですが、いわゆる先生を、生徒との距離の取り方から分類すると
1、終始、高みに立っていて、「来るならおいで」という先生
2、一度、生徒の高さまで下りてきて、「一緒に考えましょう」という先生
の2種類になり、どちらにも長所と短所があって、優劣はつけられません。
例えば、2には、「下りたきり」という方もいるのです。
それで、コンノさんは、2のタイプの先生として、すごく良い資質がある、とm
izukokoは感じました。
突然で当惑されたかもしれませんが、率直な褒め言葉です。
最後にerikoさーん、西哲Mクラブ会長! 早く帰ってきてえー。