まずは訂正です。
>270での
1.インストラクターが何を求めているのかが分からない。
どんなことを書くように求めているのかが摑めない。
↓
どんなことを書くように求めているのかがつかめない。
です。
mizukokoさん
>こういう「わからなさ」って、凄く自分がバカになった(もともとそうか)
>気がして、不安になるんですよね。
はい、オレも一回、二回と不合格が続いたとき
同じような気持ちになりました。
「オレ、哲学で卒論書こうと思っているのに、全然お話にならない
アタマしかないのか??はぁぁーーーーーーーー。。。。。。。。……」
なんて。
合格したからと言って、出来るとは限らないはずですが。
また、
>「・・・魂の不死について論ぜよ」という問いは、
>ご紹介の本はもちろん、他のレポート・論文の書き方関連の本を
>参照しても、問いとして適切とはいえません。
というのに似たカンジの想いをオレも最終的に合格した後でも
ずっと抱いていました。何が求められているのかが
十分に理解できなかったんです。
(99年の課題だったので、“魂の不死”の議論に導くような
コメントは三回目で合格したときに、それを言い換えた表現で
初めて書かれていたんですけど。ただし、それを示唆するようなコメントは
二回目の講評にも書いてありましたが。)
結局、求められているものはレポの最後まで分からずじまいでした。
でも、“魂の不死について論ぜよ”という問いは、
哲学固有の問題意識を比較的明瞭に気づかせようとする
ものなのだとごく最近は思えるようになりました。
(といっても、最後のレポ返却から既に丸四年が経過しているんですが)
オレ理解力あんまりないかもしれないです。
しかし暗中模索の状態だと、実際のところどのように書くべきか
皆目見当がつかなかったですけどね。その時のオレは。
特にオレは、自分自身の固有の視点からレポートを書きたいと
思ってしまう方なので、そう思えば思うほど書けなくなったりも
しました。
こう書くと、「じゃあどうすれば良いわけ?」ということになるので、
いま一度課題の内容についてここで検討してみたいと思います。
課題の文章を言い換えると、
『パイドン』における「魂の不死」について、
精読し、
このテーマについて論じてください。
ということになりますよね。
(a)
まず、<『パイドン』における「魂の不死」について>
ということは、『パイドン』に述べられている限りでの「魂の不死」です。
また、「魂の不死」ということは自明の事ではありません。
(個人的信念とか宗教的信条ならアリでしょうが、万人が無条件
に受け入れることではないはずです。)
ということは、『パイドン』という閉じられたテキスト内部での
「魂の不死」という議論の結果にレポート執筆者が如何なる態度を
とるにせよ(魂が不死であると考えようと、考えまいと)、
まずはどのような理由でソクラテス(プラトン)は
魂が不死であると結論付けたのかを
明らかにする必要があるのではないでしょうか?
このことは、一回目の講評で
>「『パイドン』のテキストに基づいた議論」をして下さい。
>ダラダラとエッセイ風に書かず、章節立てをきちんとして、
>全体的構成を明確にしてください。
というようなカンジだったので、それらをふまえて考えたことです。
で、二回目で、
>合格のレベルですがここでやめるのは惜しいことなので
>読解のさらなる進歩を求めてあえて不合格にしました。
となりました。(ぬぉーーーーー!!!泣←その時の心の叫び)
ここでかなり凹んで凹みまくりましたが、
>ひとつのテーマについて論ずるときは、それが最も鮮明に語られている
>部分に絞って論じて下さい。
ということだったので、内容をカナリ絞って書き直しました(もうヤケ)。
でもこのことは、実は一回目の講評でも書かれていたんで、
二回目は一回目に取り上げた範囲の三分の一位に絞ったのですが。
で、三回目。
範囲を二回目のさらに半分に絞りました。
でも、屈してばかりいるのも悔しいので、最初の三分の二は
テキストに基づいた解釈をし、最後の三分の一は自論を
展開しちゃいました。また、オレの論じたことは『パイドン』
から直接的に読み取れることなのだ!!というつもりで、全体の
構成も工夫したつもりでした。
でも…
>(後半部分は)原典の典拠指示がほとんどなくなります。
>原典から遊離していないでしょうか。
と来ました。
で、ここにきて、書いてあったことから今にしてやっと分かった事が
あります。
範囲を絞るように指示した場所は、テキストにおける魂の不死の理由
にしている記述のなかでもごく日常的なことを取り上げているところで
あり、
ソクラテスのここでの言葉はこうしたに日常的な
ことに謎を見出しそれを問いに変えさらに考えて答えを出す、
という哲学固有の姿勢があらわれている箇所(の少なくても一つ)
だったのではないか、ということです。
(b)
次に、
“「論」ずる”ということに目を向けてみたいと思います。
問いをたて、それに分かりやすく道筋をつけて、
それに答えること。
これが、論ずるということだとオレには思われます。
(結論?) しかし、論ずるということになると
テキストの読解だけで結構密度があるのに
四千字程度の分量で、読解を踏まえつつ持論を展開
するというのはカナリ無理な気が今のオレにはします。
だから、
問い→「魂の不死」はどのように説明されているか?
道筋をつける部分→テキスト読み込み、典拠を示しつつ答え
にもって行くための証拠を示す。
答え→このようにして「魂の不死」は主張されている。
あくまでもオレの即席の例ですが、こんなトコロに落ち着いちゃう
気がするんですよね。
でも、
>生死の現象論ではなくて、「人間の生き方」=倫理の問題
>はなかったかと思います
との事ですが、
前述した部分では、生死の現象学でありかつ倫理の問題でも
あることが述べられているとは思うんですよね。現代人から見て
感動するものかどうか分かりませんが。
オレの場合けっきょく最後まで上述した難関を
突破できないで終わりました。
最終的な評価はAでしたが
がんばっ たで賞、のようなカンジでした。
なんかこんな説明じゃ、
かえってどうしたら良いか分からなくなりますかね?
文字だけじゃ誤解が生じてしまうかなあ?
機会があればお話したいものですが。
今日のところはこの辺で。
あ、「教育者の資質」についてですが、
オレそういうのないですよ。
普段のオレの実情を知る人間(家族、昔からの友達、職場の人等など)
が聞いたら完全に否定されますし。
それに、mizokokoさんに会った時にオレの本当の姿を知られて
こんな人だったのかと思われるのもチョッピリ怖いです。笑
では!