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     倫理学(3)
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投稿者 スレッド
キーさん
投稿日時: 2013-7-17 17:58
一人前
登録日: 2008-4-30
居住地: 千葉市
投稿: 104
倫理学(3)
キーさんです。

 順ちゃん、早速の回答ありがとう。

 確かに、公共哲学も倫理学と深いつながりがありますね。倫理学は初めての経験というのは誤りです。私の興味の中心は「コミュニタリアン」です。最近、『テイラーのコミュニタリアニズム』を人に勧められて読んでいます。現在の問題意識はアイデンティティをどう取り扱うかです。それは、コミュニティ内部では絆を強化しますが、外部を排除する傾向が強くなります。それが現在世界の各地で紛争を起こす原因になっています。どうすればそれを克服できるのか?が問題です。グローバルな共生社会を構築するにはどうすればよいか?これは大問題ですね。

 7月のテストで東洋史特殊(トルコ民族史)を取りましたが、それがこの問題を取り上げています。オスマントルコはミレット制度を取り入れて、支配下に置いた各民族の宗教を寛容的に取り扱うことで平和を保つことができました。しかし、それは欧州各国が、各民族の宗教を中核とするアイデンティティを刺激することでオスマン帝国に揺さぶりをかけました。現在のイスラーム圏の紛争もこうした欧州の戦略の結果生じたともいえるのです。

 トルコ民族はアルタイ語系民族で、日本民族に近いこともあり、興味を持っています。若い時、イスタンブールのトプカピ宮殿を見学して感激して以来、トルコびいきになっています。今回の9月のウズベキスタン旅行もその一環です。イスラーム文化圏は、文化的に言って欧州の上を行っていた時代がもあったのです。また、今回訪問する予定のサマルカンドはチムールの出たところです。オスマン帝国を破り、明に戦争を仕掛けたところで惜しくも?死んでしまったーー。

 「倫理学」と「現代倫理学の諸問題」も一緒に学習中ですが、内容が重たいものばかりで、一筋縄ではいきません。少しずつかみしめながら楽しみ(苦しみ)たいと思います。 2013/7/17
順ちゃん
投稿日時: 2013-7-18 11:56
長老
登録日: 2007-9-5
居住地: 東京
投稿: 417
Re: 倫理学(3)
キーさん、こんにちは。
昨晩「倫理学」のテキスト(小泉仰氏のもの)をパラパラめくってみたのですが、配本が変わってなくこのテキストでよければ、最初の「序論」と終わりの「結び」の部分を見てみると、著者の小泉氏の意図がよく分かると同時に、取り上げられている5つの倫理追求の違いも見えてきますね。

ユダヤ・キリスト教の倫理は垂直次元の構造をもっており、超越者の神と人間との「契約関係」をもとに倫理が設定されています。これが揺るがない絶対的な基準となっていて、その関係を人間と人間の関係(水平次元)にも適用していく。つまり縦から横へです。

これに対してアリストテレスの倫理は、初めから人間と人間の関係(水平次元)で倫理を考えており、そこから「最高善」を求めるという哲学的な問いに向かっているようです。つまり、ユダヤ・キリスト教と逆となり水平次元から垂直次元に向かっているということです。

近代のカントになってもアリストテレスの影響を受けていて、人間と人間の関係で倫理追求をしていくけれども、そこにはユダヤ・キリスト教の垂直次元とアリストテレスの水平次元とがいわば織り交ぜられたような構造を持っているように思います。実践的な正義論を見るとアリストテレスの流れがあると思いますが、定言命法となるとユダヤ・キリスト教の流れも入り込んでいると思います。

カントの倫理追求の部分で、アリストテレスとカントの共通面と違いとを読み取ることができれば、次のムーアとシェーラーも容易に理解することができるように思います。なぜなら、両者ともカントの影響を受けており、カントを展開させたり、オリジナリティー加えて変形させたりして独自の倫理を追究しているからです。

それにしても・・このテキストは薄いのによく整った構造になっていると思いました。ユダヤ・キリスト教の倫理の流れは当然のことながら西ヨーロッパに入り込んでいますが、それとは別の流れとして、イスラムの台頭によって西ヨーロッパに入り込んで行ったのがギリシア哲学(アリストテレス)の倫理観ですね。つまり、両者の倫理構造(垂直次元と水平次元)が、一度カントに集約されていき、その後のほとんどの倫理追求はカントの展開か変形か・・と見ているように感じます。

なお過去問を見てみると、上記の流れと違いを把握した上で、5つの倫理追求のそれぞれに特徴的な部分(概念)を自分の言葉で説明できるように準備しておけばよいと思いました。

こんなところで勘弁して下さいませ。ご健闘を祈ります。
キーさん
投稿日時: 2013-7-18 15:19
一人前
登録日: 2008-4-30
居住地: 千葉市
投稿: 104
倫理学(4)
めいりんりさんです。

 順ちゃん、親切な解説ありがとうございます。このテキストは薄いけど、内容は濃い。ムーアやシェーラーは初めてなので、テキストを理解することは難しい。まだ、厚い壁の前にたたずんでいる観がします。

 前にも書きましたが、現代倫理学の諸問題も読みはじめています。実存哲学は少しかじった程度ですので、テキストを充分に読みこなすまでには至っていません。

 ところで、倫理学の「第六章生命倫理」は自然という下からの縦軸を立てていますが、本来、神は全知全能なので、自然をも包含する縦軸一本の存在のような気がしますがいかがですか?

 私はもともとは生物屋で、生物生態系は非常に重要であると考えていますので、この問題にも深く関心を持っています。経済学部在学中は「エントロピー経済学」の本もたくさん読みました。

 現代倫理学の諸問題の「恒宙における人間の位置の問題」で前述の生命倫理の問題を別の角度から論じています。筆者は新教の倫理は「仕える」であって、旧教の「支配する」ではないと主張しています。新教も「支配する」という倫理観を持っているという考えは「誤解」だとしています。しかし、私には、新教の信者の大多数が「支配する」という考えを信奉しているとしか思えません。「仕える」という考え方が基本にあるならば、現代において深刻になっている諸問題は起こらなかったはずです。神は人間に自然を支配する権限を与えたという考え方がそもそも誤りであったのではないでしょうか?

 順ちゃん、コメントをお願いします。2013/7/18
順ちゃん
投稿日時: 2013-7-18 18:44
長老
登録日: 2007-9-5
居住地: 東京
投稿: 417
Re: 倫理学(4)
キーさん、今週末に論文の中間発表を控えておりますので、わずかなコメントになりますが、おゆるし下さい。

本来、神は全知全能というユダヤ・キリスト教の倫理観では当然のことなのですが、彼らがそれを根拠とする「聖書の言葉」による啓示においては、生命倫理についての文言は一切出てきません。たとえば「臓器移植」「体外受精」「不妊治療」「脳死」の問題などです。

それは聖書が書かれた時代、預言者が神からの啓示を受けた時代には、生命倫理の内容を伝える言葉を記したとしても、何のことだかまったく理解不能だったからです。聖書の啓示というのは、それを受けた時代の人々がそれを理解でき、受容することができるように「当時の象徴の言葉」が用いられています。ですから実体は「自然をも包含する縦軸一本の存在」でまちがいないとしても、そこで神から求められているであろう倫理については、人間の側からまた自然の側から・・すなわち「下からの縦軸を立てている」ということが言えるのだと思います。

いま私の手元に「現代倫理学の諸問題」のテキストがないので正確なことは言えませんが、新教の倫理は「仕える」、旧教の「支配する」という倫理観は、恐らく「原則」を述べているのだと思います。キーさんの捉えかた>>新教の信者の大多数が「支配する」という考えを信奉しているとしか思えません>>というのは、歴史を回顧してみると分かるように、原則としての「律法と福音の関係」を捉え違いしてしまったユダヤ教とキリスト教の「実態」を見ておられるのだと思います。

「神は人間に自然を支配する権限を与えたという考え方がそもそも誤りであったのではないでしょうか?」の問いについては、これこそまさに「どこに自分は立ち視座を決めていくか」という極めて「宗教的な重要課題」になるのだと思います。
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